第一章 眼に映ずる世相 / 三 まぼろしを現実に

三 まぼろしを現実に

 所謂天然の禁色に至つては、この人間の作り設けた拘束に比べると、遥かに有力なものであつた。今でも其力はまだ少しばかり残つて居る。我々が富と智能との欠乏の為に、どうしても自分のものとすることの出来なかつた色といふものは、つひ近頃までは其数が非常に多かつたが、仮に技術が十分手軽にその模倣を許すとしても、尚はゞかつて之を日常の用に供しようとしなかつたものが幾らもある。特に制度を立てゝ禁止する迄も無く、多くの鮮麗なる染色模様等は、始から我々の生活の外であつた。質素は必ずしも計算の結果では無かつた。江戸期の下半分しもはんぶんには衣類倹約の告諭が何度か出て居るが、之に背くやうな人たちは、村方には何程も居なかつた。東北などの或藩では百姓の衣類の制式を定めて居る。他の多くの土地にはその様なおきては無いけれども、やつぱり農民はそれ以上のものはなかつた。是は貧乏の為なりと解するのも理由はあるが、彼等は稀に豊かなる場合に於ても、多くは飲み食ひの方へばかり其余力を向けて居る。好みを世間並にして目に立つことをいとうたといふこともあらう。或は又感情の安らかさを保つ為に、つとめて年久しい慣習を受け継いで居たと見ることも出来るが、其の慣習の元にさかのぼつて見ると、何か今少し深いわけがありさうである。手染の染草は大部分は山野に採り、もしくは園の片端にゑたものであつたが、其品種は既に豊かであり、又其処理の技術も驚くほど進んで居た。必ずしも澄んだ明るい色合が出せぬといふ為で無く、わざ/\樹蔭こかげのやうなくすみ﹅﹅﹅を掛け、しまや模様までも出来るだけ小さくして居た。さうして是が亦衣裳以外の、種々なる身のまはりの一様の好みであつたことは、以前は町方も村と異なる所が無かつた。

 つまり我々は色に貧しかつたといふよりも、強ひて富まうとしなかつた形跡があるのである。是が天然の色彩のこの通り変化多き国に生れ、それを微細に味ひ又記憶して、時節到来すれば悉く利用することの出来た人民の、以前の気質であつたといふことは不思議な様であるが、見方によつては是も我々の祖先の色彩に対する感覚が、つとに非常に鋭敏であつた結果とも考へられる。色の存在は最初一つとして天然から学び知らなかつたものは無いのであるが、其中には明らかに永く留まつて変らぬものと、現滅の常なきものとの二種があつた。地上に属するものとしては物の花、秋の紅葉も春夏の若緑も、美しいものはすべて移り動くことを法則として居た。てふや小鳥の翼の色の中には、しばしば人間の企て及ばざるものがきらめいて居た故に、古くは其来去を以て別世界の消息の如くにも解して居たのである。火の霊異の認められて居た根本の要素には、勿論あの模倣し難い色と光があつた。是に近いものは寧ろ天上の方に多かつたのである。にじの架橋は洋海の浜に居住する者の、殊に目を驚かし心を時めかすもので、支那でも虫扁むしへんを以て此天象を表示する文字を作るやうに、日本では之を神蛇しんだのすぐれて大いなるものと思つて居た。其他おまんが紅などとなづけた夕焼の空の色、又は或日のあけぼのの雲のあやの如き、何れも我々の手に触れ近づき視ることを許さぬといふことが、更に一段と其感動を強めて居たのである。所謂聖俗二つの差別は当然起らなければならなかつた。移して之を日常の用途に、充てようとしなかつたのも理由がある。

 だから我々は色彩の多種多様といふことに、最初から決して無識であつたのでは無く、却つて之を知ることが余りに痛切なる為に、忌みてその最も鮮明なるものを避けて居た時代があつたのである。人が此点に最も多感であつたのは、恐らく童子から若者になる迄の期間であらうが、誰しも一生涯には二度か三度、到底ぬぐひ消すことの出来ぬやうな印象を受けて居て、それが大抵は異常なる心理の激動と結び付いて居た。それが各自の体質の上に、如何なる痕跡をのこすものであつたか。はた又遣伝によつてどれだけの特徴を、種族の中に栽ゑ付けるものであるか、是は尚進歩すべき生理学の領分であるけれども、少なくとも日本の国民が古く貯へて居た夢と幻との資料は、頗る多彩のものであつたらしい証拠がある。言葉には之を表はす手段が未だそなはらず、単に一箇のアヤといふ語を以て、心から心に伝ヘては居たが、人は往々にして失神恍惚くわうこつの間に於て、至つて細緻さいちなる五しきの濃淡配合を見て居たのである。絵が始まりにしきを織るの術が輸入せらるゝや直ちに之を凡俗の生活に編み込むことを敢てせず、一種崇敬の念を以て仰ぎ視て居たのも、必ずしも智能の等差なり貧富の隔絶なりでは無かつた。仏法が其宣教の主力を、堂塔の金碧きんぺき荘厳に置いたのも、言はゞ一つの無意識なる巧であつた。天然に養はれたる此国民の宗教心は、常にこの類の異常色彩によつて、目ざめ又必ず高く燃え立つやうに出来て居たのである。

 斯ういふ二通りの色の別ちが存する限り、たとへ技術は之を許すとしても、人は容易に禁色を犯さうといふ気にはならなかつた。昂奮たとへば平野の孤丘の如きもので、それが無かつたならば人生は勿論淋しい。しかも屢々其上に登り立つことも、堪へ難き疲労であり又前進の妨げであつた。それ故に我々は花やかなる種々の色が、天地の間に存することを知りながらも、各自は樹の蔭のやうなやゝ曇つたる色を愛して、常の日の安息を期して居たのであつた。それが固有の染料の自らの制限だけで無かつたことは、単なる白といふ色の用ゐ方を見てもよくわかる。現在は台所の前掛に迄も使はれるやうになつたが、白は本来は忌々ゆゆしき色であつた。日本では神祭の衣か喪の服以外には、以前はこれを身に著けることは無かつたのである。婚礼と誕生とにも、もとは別置べつちを必要とした故に白を用ゐたが、それすらも後には少しづゝ避けようとして居た。つまりは眼に立つ色の一つであり、清過ぎ又明か過ぎたからである。斯ういふ稍不自然なる制限の解除せられたことは、一つには異なる外国の風習の、利あつて害無きことを知つたからでもあるが、それよりも強い理由わけと晴との混乱、即ち稀に出現する所の昂奮といふものゝ意義を、段々に軽く見るやうになつたことである。実際現代人は少しづゝ常に昂奮して居る。さうして稍疲れて来ると、始めて以前の渋いといふ味ひを懐かしく思ふのである。