町の流行で無かつたといふこと

1章8節363-15

ここでは、『世相篇』でしばしば目にする、「流行」を批判的に捉える視点から、藁沓・藁草履など農家が自家で生産していた履物が衰退していった背景が説明されている。

「流行」という問題について正面から批判的に論じているのは、第13章第4節「流行の種々な経験」である。そこで柳田は、「趣味」と「流行」を対照的に位置づけ、次のように述べている。

「村々の生産が未だ盛んであつた当時には、人は心静かに我境遇の趣味といふものを保持してゐた。尠くとも現在の様に国の南の端と北の端とが、一時に同じ流行に巻き込まれて悦ぶと云ふ様な、不思議な現象は見なかつたのである。それが村の生産の大部分を商人資本に引渡すと、忽ち一切の好みが彼等の思はくに指定せられ、多くの農民美術がたゞ若干の好事家に、捜しまはられるものとなつてしまふのである。野暮とか不細工とかいふ語を気にする者は、却つて農民の中に多くなつた。」(第13章第4節581-10~14)

この記述を先の「町の流行」に重ねると、「町」とは、「商人資本」を意味し、それに導かれた「流行」が問題とされる。そして農村の人たちが却ってこの「流行」を有り難がり、自らが暮らしのなかで生産してきた履物を「野暮」なものとして顧みなくなったということになる。結局、藁沓も藁草履も、都会の好事家が再発見して名付けた「農民美術」のなかに入れられてしまうのである。第11章第1節「本職と内職」では、「履物の大部分は斯うして(註 藁を使って)造つて居たのが、今はそんな物は入用ならば買ふまでゞ、それよりももつと便利な護謨靴や地下足袋をはき、仮に藁加工品を業とするにしても、方法と目的とは前の時と別になつて居る」と指摘している(11章1節526-11~13)

また、食生活を扱った第2章第8節「外で飯食ふ事」でも同じような議論を展開し、同2章における結論ともいえそうな次のような一節がある。

「材料から言つても調理法から見ても、日本のやうに飲食の種類の繁多な国は、世界恐らくは無類であらうと思ふ。是が何でも自由に選択し得られることは、生活技術の大いなる強みであつて、今でも我々は幸福であるわけだが、是が日々の商品となつてしまふと、さう片端から何でもかでも、作つて気まぐれなる選り取りを待つて居るわけにいかない。だから売る方では何等かの方便を設けて、出来るだけ一つの物に多くの需要を集めようとする。是が流行の常に移り動き、いつでも我々がよその押売りを、事実に於て受けて居る理由でもあれば、町の便利が何かといへば感嘆せられ、之に引き比べて村の生活が損なやうに、考へさせられる理由にもなつて居る。」(2章8節392-7~13)

ここでは、「売る方」の「方便」として、一つの商品に需要が集まるように操作されて表れるのが「流行」であるとされる。「売る方」とは先の「商人資本」であり、消費する側が、自らが自由に選択したわけでもないものを「押売り」されている状況を批判する。しかしその一方、消費する側自身がそれを「便利」として「感嘆」し積極的に受け入れる面もあることを指摘している。これは、藁沓などが「町の流行」ではなかったために結局、農民には喜ばれなくなったという指摘と重なる。

地方における「町の流行」をめぐる議論は、『世相篇』が見据えようとした、地方の暮らしに変化を余儀なくさせていった「構造」を指摘したものであり、その「構造」を指し示すために、『世相篇』は、対象を変え、語り方を変え、繰り返し「流行」について批判的に語っている。[重信]

好み流行新旧雑処して残つて居たといふこと