蝶や小鳥の翼の色の中には、しばしば人間の企て及ばざるものがきらめいて居た故に、古くは其来去を以て別世界の消息の如くにも解して居た

1章3節346-6

柳田が蝶に触れるのは、蝶の呼び方に関する民俗語彙研究と、荘子の夢との関連である。鳥については、時鳥(ホトトギス)、郭公(カッコウ)、鳶や鳩の鳴き声(第1章第1節は「鶉の風雅なる声音」が言及される新色音論である)の解釈が口承文芸との関連で議論される。蝶と小鳥の両者の共通点には、羽、翼による往来があるが、「あの世を空の向ふに在るものと思つて居た時代から、人の魂が羽翼あるものゝ姿を借りて、屢々故郷の村に訪ひ寄るといふ信仰があつたものと思はれる」(『口承文芸史考』1947年、⑯506-14~16)、「人の心が此軀を見棄てゝ後まで、夢に現れ又屢々まぼろしに姿を示すのを、魂が異形に宿を移してなほ存在する為と推測した」(『野鳥雑記』1940年、⑫105-6~8)容器としての異形である鳥、「あの世の音信」(同前⑫109-1)、子供が「『かくり世』の消息」を問おうとする相手(同前⑫103-8)など繰り返しあらわれる関連する文脈でとらえれば、鳥と蝶と通じるのは、ある種の「夢見る力」(『口承文芸史考』、⑯507-5)、「まぼろし」(同前)を介しての異界との交流を示唆している、と思われる。このことから、蝶や小鳥の事例が、本節のタイトルである「まぼろしを現実に」の事例としてふさわしいことがわかる。

この文章は、鳥の翼の色から別世界へと展開するものだが、柳田の鳥に関する文章には命名法と鳴き声から人々の世界への意味づけを考察するものも少なくない。『野鳥雑記』には、「野鳥雑記」、「鳥の名と昔話」、「九州の鳥」などこうした事例が多く集められている(『野鳥雑記』1940年、⑫)

鳥の声を聞いて、人間の言葉に置き換えることをききなし(聞做し)という(『少年と国語』1957年、⑳402)。この言葉のはやい使用例としては、郷土研究社から炉邊叢書として刊行された、鳥類研究家である川口孫治郎の『飛騨の鳥』(郷土研究社、1921年)がある。

(ウグイス)は『出雲風土記』には「法吉鳥」(ホホキドリ)とあり、近世になってから鳴き声が「法法華経」「宝法華経」などと表記されるようになった。時鳥は、花の項目にある彼岸花と同様に異名も多いが、鳴き声も「本尊掛けたか」や「てっぺんかけたか」あるいは「特許許可局」とも聞こえる。時鳥は、俳諧・古活字版中本犬筑波集(1532年頃)夏「ぶつだんに本尊かけたかほととぎす」とある。この鳥は平安時代にはすでに「死出(しで)の田長(たおさ)」といわれたように、冥土からやって来て農事を促したり、「死出の山こえて来つらん郭公」(『拾遺和歌集』1006年頃、哀傷第1307)のように冥土の使いとしたりする俗信があり、不吉な鳥とする見方もあった。それが「本尊かけたか」というききなしにつながったかもしれないとされている(精選版 日本国語大辞典)。[田村]

異常なる心理の激動一箇のアヤといふ語を以て昂奮赤い花