外国の旅人は日本に来て殊に耳につくのは、樫の足駄の歯の舗道にきしむ音だと謂つた

1章9節366-9~10

グラバー邸内のコールタール舗装(1863年)、銀座煉瓦街における煉瓦舗装(1873年)、神田昌平橋のアスファルト舗装(1878年)などはあったが、日本で舗道が普及しはじめるのは20世紀前半である。1919年制定の道路法に基づく内務省令第25号「街路構造令」に「主要なる街路の路面は(…)適当なる材料を以て之を舗装すへし」と規定され、同年制定の都市計画法により街路事業が進められたこと、1923年の関東大震災後の復興事業が国と東京市の双方で実施されたこと、自動車保有台数が増加したことなどが背景にある。コンクリート舗装とアスファルト系の簡易舗装とがあり、1930年には東京市の道路総面積440万坪の55%が舗道になった。すなわち、樫の足駄の舗道にきしむ音はまさしく「新たに生まれたもの」であった。そのことを柳田は「外国の旅人」の言によって述べ、第1章を終える。第1節で明示した「われわれ」/「外部」という設定と、「外部の文明批評家」の論断を鵜呑みにするのではなく、「実験の歴史」を試みるという「第一の提案」(342-13)を受けたものである。[山口]  

同じ流に浮ぶ者物遠い法則込み入つた調査実験の歴史外部の文明批評家外国旅客の見聞記花作り学生が制服に足駄をはきズボンに帯を巻いて手拭を~