物遠い法則

1章1節341-8

「法則」とは、「世界史の基本法則」を高唱していた社会科学、とりわけマルクス主義を念頭に置いた言葉。柳田は、マルクス主義について、正面切って言及することはなかったが、たとえば「いやしくも歴史の知識を持つて居てから仕事に取掛らうといふならば、意外によつて教へられるだけの用意がなくてはならぬ。出来るだけ多量の精確なる事実から、帰納によつて当然の結論を得、且つこれを認むることそれが即ち科学である」(『郷土生活の研究法』1935年、⑧259-15~17)とあるように、演繹的な法則を仮定し、過去にそれを見出すような態度をきびしく排した。マルクス主義に依拠した諸研究が当時席捲していたこと、そしてそれらと『世相篇』における「新しい企て」(「自序」337-3)とは、扱う対象において重なる点があったことなどから、『世相篇』が何でないかを示すものとして、マルクス主義を暗示する「法則」という言葉を用い、それを「物遠い」「大衆にも向かず」「次から次への変化には間に合わぬ」と評した。[山口] 

込み入つた調査実験の歴史外部の文明批評家外国旅客の見聞記外国の旅人は日本に来て殊に耳につくのは~