学生が制服に足駄をはき、ズボンに帯を巻いて手拭を挟んだりすることは、三四十年前から今も続いて居る

1章7節358-3

30~40年前とは、おおよそ1890~1900年の間のことで、柳田(旧姓松岡)の学生時代と重なっている。海軍士官服に倣った詰襟の導入は学習院の1879年(明治12)が早いが、東京帝国大学でも1886年には陸軍式の詰襟・金釦を用い、角帽と合わせて制服とした。以後、各地の中等教育以上の学校に普及するが、制服(洋服)は高価だったため、木綿絣に足駄(主として雨天用の高下駄をいう)を履き、学帽のみを被る姿が一般的だった。足駄に手拭とは、未舗装のぬかるみ道が多く、洗足の盥で、足を洗う機会が多かったことによる。1964年の東京オリンピック開催に合わせて、道路の舗装化が進む。東京都の舗装率は1960年の16.7%が65年に46.8%、75年に69.3%、85年に76.9%と急上昇するとともに、下駄に手拭姿の光景は消えていった。モータリゼーションの進展とも並行するが、西欧諸国の道路舗装率が古くから100%であったのは、古代より馬車を多用したからで、物流を水運や、のちに鉄道に依存した日本では舗装化はなかなか進展しなかった。[岩本]

外国の旅人は日本に来て殊に耳につくのは~