婦人洋服の最近の普及

1章7節358-10

遠藤武「衣服と生活」(渋沢敬三編『明治文化史 12 生活』洋々社、1955年所収)によれば、女子の洋装は、1885年(明治18)に婦人の結髪改良がとなえられたことを契機に、東京女子師範学校をはじめ、秋田女子師範など、各地の女子学生たちが用い始め、1886年の天長節の鹿鳴館における大夜会に集まった婦人たちは、ことごとく洋装であったという。

しかし同時に遠藤は、女性の洋装は、男性の洋装に比べて「一般民間においては殆ど受け入れられなかった」とし、その理由として「立式様式」が「職場・学校など」に採用されたのみで一般家庭に普及せず、多くの女性が「自家または主家の座敷生活様式を固守していた家庭内の労働に従事してきたからである」としている。

1925年(大正14)5月に、銀座(新橋から京橋の銀座通り西側)の通行人の考現学調査を実施した今和次郎らは、男性の67%が洋装、和装は33%で、洋装が優位であったのに対して、女性は99%が和装で、洋装は1%に過ぎないとしている(今和次郎他「一九二五年 初夏 東京銀座街風俗記録」、今和次郎・吉田兼吉編著『モデルノロジオ 考現学』学陽書房、1930年所収)。また、この銀座の調査にならって実施された小樽市での調査では、男性の服装は、洋服15%、半纏や職工服などの労働着53%、和服32%と、男性における洋装の割合は相対的に低く、また女性では、洋装が0.5%以下にすぎず、分析の対象から外していた(大町敏子・名取まつ子調査・今和次郎整理「小樽市大通(花園町)服装調査」、今和次郎・吉田兼吉編著『考現学採集(モデルノロジオ)』学陽書房、1931年所収)。女性の洋装の普及は、なかなか進まなかったのである。

一方で、昭和初期は、いわゆる「モダン都市」のライフスタイルが、大都市の新中間層を中心に具体化しはじめた時期でもあった。先の考現学調査が実施された時より、数年下った頃の大都会の街頭風景を切り取った写真には、ワンピースなどをまとった洋装の女性たちの姿を確認することができる。

1932年(昭和7)アサヒグラフの「遂にアッパッパ軍、大阪を占據す」という記事
https://twitter.com/oldpicture1900/status/964714259820134400/photo/4
1932年(昭和7)アサヒグラフの「遂にアッパッパ軍、大阪を占據す」という記事
https://twitter.com/oldpicture1900/status/964714259820134400/photo/4

しかし柳田がここで言及する「最近の普及」が、こうした女性の「モダン」ないで立ちを指しているのか否かは、実はよくわからない。『世相篇』の「自序」で、「最近のいわゆるモダン振りには、自分も相応に悩まされている」といい、それについては「自分が不調法」であり、「すでに多数の通または大家」があり、「議論が簡単に決しそうもない」ため、『世相篇』では「略した」としている(「自序」340-2~3)。それを考えると、こうした街頭のやや尖端的な洋装に、ここで言及していると、言い切ることはできない。

当時、「モガ(モダン・ガール)」たちが身にまとった最新の洋装とは異なる、もう一つのより日常的な女性の洋装があった。それは大正末から昭和初期に広まり始めた、「簡単服」と呼ばれた日常着である。大阪では「アッパッパ」と呼ばれていた。頭からかぶるワンピース型の服で、しばしば袖なしで型紙などがなくても作ることができたので、自作されることで広まったと考えられる(戸栗一美「昭和時代初期における庶民の服装―簡単服の導入過程に関する一考察」『静岡女子大学研究紀要』16号、1982年)。これらは部屋着に近い日常着だったために、街の大通りなどで実施された考現学調査に実態が反映されなかったのかもしれない。

柳田が、「婦人洋服の最近の普及」として何を指しているのか、詳らかではないが、単純に「洋装」を指しているわけではないことは確かであろう。このもの言いは「単に落想を外国人から得た新たなる仕事着」(358-8)と言えるという文脈で出てくる。そして続く文では、これが「動作を敏活にする」服であることは明白であると婉曲的に表現し、長く女性の機能的な仕事着が考案されずに来たことを批判し、仕事着の文脈に位置付けていることがわかる。後の方で柳田はそうした経緯を「ヨウフクの発見は至って自然である」と述べ(359-1)、「洋服」を敢えてカタカナで表記し、外来の服飾文化もしくはその日本化したものなどと区別しているように見える。そこに、長く仕事着に恵まれなかった日本の女性にとって、「ヨウフク」が一つの必然的な帰結であるという柳田の考え方を読み取ることもできるだろう。 360頁に掲載された「新仕事着の着こなし」という組写真は、そうした「ヨウフク」をまとう女性たちの姿であろう。左下の女性が着ているのは、ワンピース型の「簡単服」に近い日常着である。

360頁掲載の挿入写真

もちろん「袖無し単(ひとへ)と腰巻との単純な取合せ」(359-10~11)というかたちに、当時の都会でモダン・ガールたちが着始めていた、上下が分かれた、ノースリーブとスカートという組み合わせの洋服を重ねることのほうが自然かもしれない。いずれによ、柳田は「婦人洋服の最近の普及」に、仕事着に恵まれなかった女性たちが常着として自ら来やすい「ヨウフク」を選択し始めていることを見いだし、評価しているのである。そして、そうした、日本の仕事着の歴史と実情から「絶縁」して洋装の普及をすすめようとする「洋服主唱者」(359-16)たちを批判するのである。[重信] 

所謂洋服も亦とくに日本化して居る新たなる仕事着腰きり、小衣袖無し、手無し腰巻新らしい洋服主唱者にもし不親切な点があるとすれば~男ばかりが護謨の長靴などを穿いて~