男ばかりが護謨の長靴などを穿いて、女はどうでもせよと棄てゝ置くらしいのは悪いと思ふ

第1章7節360-5~7

ゴム長靴が高価な購入品であって、一家全員が利用するまでには至っていないことを表現するとともに、先に女性の機能的な仕事着が長い間考案されずに来たことを批判したのと同様に、足元も女性の履物が考案されずにいることを、暗に批判していた文章である。柳田は家庭内における不平等を、近代に至ってむしろ家父長権の強まりによってもたらされたものだと考えており、1936年の「女性史学」(『木綿以前の事』所収)では「婦人参政権の問題は(…)やがて又起るにきまつて居る。今日の婦人は(…)果して国の政治に参画して、女で無くては出来ぬ様な社会奉仕を、為し得るだけに支度せられて居るかどうか」と論じている(⑨602)。第8章「恋愛技術の消長」や、第13章「伴を慕う心」第3節「青年団と婦人会」で賛意を示す「婦人参政権」(580-2)の問題に連なっており、これは1925年に普通選挙法が成年男子に限定された、男女非同権の動きを牽制する発言としても読むことができる。[岩本]

婦人洋服の最近の普及手甲、脛巾大正終りの護謨長時代+跣足足袋、地下足袋男女の風貌はこの六十年間に、二度も三度も目に立ってかはつた