香道が疲るゝ嗅覚の慰藉であつたやうに

1章9節364-13~14

柳田の議論は生活をめぐる五感の問題として相互に連動している。ここでの香道への言及も、つよい刺激を好む風潮が、各種の生活と結びついた感覚を鈍らせていくという見方のもとにおかれている。それらの刺激は、雑多な刺激の増加によって疲労した感覚を、統一することで癒そうとするものでもあった。香道の場合、「珍しくかつ力強く人の心を動か」す音の増加に疲れた聴覚が音楽を求めることと併置されており、疲れた嗅覚を癒すため、雑多なものの一切を「超脱する」ために求められた手段として位置づけられている。柳田はこれを「人の平日の」感覚を「遅鈍にする」ものと位置付ける。同様の見方は第2章の「村の香、祭りの香」における「たばこ」への言及にもみられる。ただし、嗅覚は新たな刺激が増加していくよりは、整理される方向にあるとも柳田は述べており、あるいはこれはたくさんのにおいをかぎきれないために人間が能力を制限した結果という見解も示される。なお、このたばこの問題は『秋風帖』(『東京朝日新聞』紙上で連載、1920年)収録の「御祭の香」でも言及されている。すなわち、「煙草を酒と対立させるのも洋風であるが、島田の祭では驚くほど此煙の香が高くて、嗅ぎ過すことが出来なかつた。我々に脱帽を命じた神輿の世話方も啣へて居た。踊屋台の上も下も、女に入交つた若者は殊にバット敷島を愛して居た。僧侶に抹香が伴ふやうな、一種の流行と思はれたが、其は祭の空気を作るに至つては感心しなかつた。自分は先頃奥州野辺地のささ踊で、数名の青年の巻煙草を憎いと思つた。田名部の寺でもあまり盆踊りの啣へ煙草が甚だしいので、終に境内で踊ることを断られたと云ふ話を聞いた。祭や踊を農村の娯楽などゝ名ける人々が、恐らくは斯様な変な流行に就いて、責任の大半を分かたねばならぬのであらう」とある(⑥15-1~6)

ところで、感覚が遅鈍になった結果として失われるものとは、五感の微細な体験を社会知識として捉えるリテラシーであるといえる。雑多な五感の刺激は、相互の生活を察知せしめるのみならず、「闇が我々を不安に誘ふ」ように、「静寂は常に何物かの音を恋しがらせる」ように、むしろ人から求められるものでもあった。それらの雑多な生活の感覚は「憎み又は避けしめ」る対象ではなく、「共同生活の立場から、各の価値が定められる」べきものと柳田はみている。[及川]   

香道言論の如きは音声の最も複雑にして又微妙なるもの~音は欠くべからざる社会知識全体に一つの強烈なる物音が~