香道

1章9節364-13

沈水香木を熱し、その香を鑑賞する芸道であり、香を「聞く」と表現する。主に、香木の香を鑑賞する聞香(もんこう)と、香を聞き分ける組香(くみこう)に別れる。595年(推古天皇3年)に香木が漂着し、朝廷に献上されたという記録が『日本書紀』にあるが、香を焚く文化は仏教の伝来とともに供香として日本に出現し、やがて宮中や貴族の生活に取り入れられていく。平安期の貴族社会では薫物(たきもの)を調合し、楽しむ風が生まれる。平安期の薫物が香料を調合し練り合せたものを焚くのに対し、室町期以降に武士の文化として隆盛した香木をそのまま加熱する手法が、今日の香道につながっていく。鎌倉期に、舶来品である香木の入手が困難になり、使用の制限が加えられる中で様式化され、これを管理・執行する家柄が定められていく。これがやがて家元制度を形成し、近世には武士や富裕な町人の嗜む芸道に展開していくことになる(三井正昭「香道のすすめ」『におい・かおり環境学会誌』44巻2号、2013年)

柳田においては、雑多な刺激の氾濫による疲労を癒すために、ひとつの強烈な刺激に感覚を集中させる手段のひとつとして香道が言及されているが、今日の社会においても、香道は癒しの手段として消費されている(山内深紗子「香道―香を聞き分け心軽やか」『朝日新聞』2020年2月29日号朝刊、2020年、9頁)。もっとも、柳田のいう慰藉は強烈な刺激による感覚の統一であり、今日の社会における伝統文化の消費とは別様の問題と理解すべきものであろう。[及川]

香道が疲るゝ嗅覚の慰藉であつたやうに