言論の如きは音声の最も複雑にして又微妙なるものである。是が今までさういふ形式を知らなかった人々を、実質以上の動かし得たのも已むを得なかつた

1章9節365-20~366-1

音声とあることから、言論とは主として演説のことであろう。『福沢全集緒言』(1897年)や『明治事物起源』(1908年)などから、明治初期に演説という形式が出現してきたことはよく知られており、柳田は、『国語の将来』(1934年⑩)をはじめ各所で演説に言及する。演説は、聞こえのよさを主眼とした付け焼刃で、型にはまった空疎なものであり、言葉の力はないに等しいとし、座談の名人である原敬に永遠の印象をとどめた演説のないことから、「日本語そのものが、未だ我々の内に輝き燃えるものを、精確に彩色し得るまでに発達して居ない結果ではあるまいか」と考えた(「国語の管理者」1927年、㉗208-3~5)。しかしこれは「余りにも頻繁なる刺激の連続によつて、この効果は頗る割引せられ」た以降のことであって(365-19)、そうなる以前には、演説が「実質以上に」人を動かしたことを、ここでは、積極的にではないが、認めている。[山口]

香道が疲るゝ嗅覚の慰藉であつたやうに音は欠くべからざる社会知識