拘束

1章3節345-5

柳田は、『世相篇』のなかで、この「拘束」という語を多用している。この語は、制限、制約といった意味合いで用いられ(3章2節398-8、3章4節404-11など)、その状況下で生活することは「辛抱」(3章1節394-5)、「不便をさへ忍んで居る」(3章5節407-8)とされる。「拘束」の対義語には、「解放」(3章1節394-17)や「自在なる取捨選択」(2章6節385-17)が、容易に解消しがたい拘束には「調和手段」(3章1節394-6)や改良が配置されている。拘束の発生については、「人間の作り設けた」拘束(1章3節345-5)と、「天然」の拘束(1章3節345-5、10章2節532-10など)とに分けられるが、同時代人にとってはそれらがいずれも「前代生活の拘束」(3章1節394-2)、「伝統の拘束」(10章4節537-10)として立ち現われ、その志向や感覚、生活を方向づける傾向性を持つことを指摘する。この拘束は、必ずしも過去による拘束として時代の経過とともに自然と解消されるものではなく、個人のレベルでは親分からの「恩義の拘束」(14章3節596-1)として繰り返し発生するものや、座敷の位置づけをめぐってもともと異なる習慣が混乱した結果として発生した「拘束」(3章6節409-13)についても目配りがなされている。とくに重要な視点として、「靴を脱いだ手で、すぐに御菓子を摘まなければならぬ不便」について「斯ういふのは古くからの拘束ですらも無い」(3章5節407-8)と指摘するように、また、「寝間の構造位置などは元のまゝにして置いて、単に夜具だけを新らしいものに変へようとしたゝめに」生じた「意外な生活習慣」(3章4節404-8~11)の成長を解説するように、新たな、生活の部分的な変化によりもたらされる問題の発生を捉えている点であろう。

我々はなぜそのように考えるのか、感じるのか、そしてどのようにすればより良い人生を送ることができるのかという問題を生活の変遷のなかで考える柳田にあって、自明に思われるこれらの「拘束」と向き合い、「我々」の問題として考えることが、終章の「生活改善の目標」と響きあう、本書のテーマとなっている、と考えられるのである。[田村]

同じ流に浮ぶ者実験の歴史問題の共同別に第二のそれよりも珍しく、また上品なるもの厚地綾織類の詰襟~新旧雑処して残つて居たといふこと