紺を基調とする民間服飾の新傾向

1章5節352-7

ここでは、庶民の日常着として藍染の木綿の衣服が好まれていたことに触れている。柳宗悦『手仕事の日本』(1948年→岩波文庫1985年、181~185頁)の「阿波藍」の記事や竹内淳子の藍の研究にもとづき、この前後の記述について、染料の側から、もう少し詳しく見ておきたい。柳は、「かつては吾々の着物のほとんど凡てが紺染めであった」ため、「阿波藍」は、「日本全土に行き渡」ったという。

藍は蓼科の一年生草本(一年で枯れる草木)で、葉は濃い紫色、花は紅で、阿波の平野にはこの藍が一面に植えられていた。染料はその葉から取った。葉を発酵させて固めたものを「藍玉」とよび、その柔らかいものを「蒅(スクモ)」といった。紺屋はこれを大きな甕に入れて、石灰を加えて適宜な温度で混ぜて色を出した。よい色を出すには、ここで技が必要であったという。藍は、このように途中で発酵過程があるため、独特の香りを生み出した。柳は、各地で生産される藍である「地玉」に比べ、「阿波藍」は「色が美しく、擦れに強く、香りが良く、洗いに堪え、古くなればなるほど色に味わいが加わ」るのだと、その特質の一つとして「香り」をあげている(前掲柳、183頁)

ことに阿波で藍の生産が盛んだったのは、徳島藩の蜂須賀氏が、17世紀以降、藩の財政確立のために、在来の藍の栽培と藍玉の生産に力を入れ保護したからだという。徳島藩は、藍商人に「売場」という販売地域の独占権を与え、全国を分担して売り歩かせたのである(竹内淳子『藍Ⅰ』法政大学出版局、1991年、35~42頁)

そして江戸中期以降、阿波藍は日本中にその販路を伸ばしていくことになる。「紺を基調とする民間服飾の新傾向」とは、この阿波藍の進展と、木綿の普及によりもたらされたものであったといえる。1874年(明治7)に東京帝国大学の前身、開成学校に着任した英国人・アトキンソンは、藍染めの衣服を着ている日本人があまりに多いことに驚き、藍をジャパンブルーと名付けたという(前掲竹内『藍Ⅰ』、6頁)

藍は日本各地で生産されていたが、明治初期には、それら地藍に対して阿波藍が優勢になっていた。たとえば、藍の生産と藍染めが盛んであった埼玉の草加地方では、地藍である武州藍を使っていたが、明治10年代には阿波藍を使うようになっていた。武州藍の青藍含有量が3%であったのに対して、阿波藍は4~5%だったという。草加の藍染めが阿波藍を移入し、武州の藍栽培は衰退していった(竹内淳子『藍Ⅱ』法政大学出版局、1999年、147~148頁)

また筑後地方では、1864年(元治元)に久留米藩が久留米絣を普及させる政策をとり、1869年(明治2)には発酵させた藍葉すなわちスクモ藍(蒅藍)の生産に成功し、特に山本郡(現・久留米市)が藍作りの中心地となった。明治10年代に久留米絣は、阿波藍七分、地藍三分の配分で使用し、特に阿波に伝習生を派遣し地藍の質の向上にも努めるなどして、生産・販売ともに増大していった(前掲竹内『藍Ⅱ』、181~182頁)

しかし、明治初期にインド藍が輸入されはじめ、また明治30年代後半には、ドイツの合成染料のインジゴ・ピュアーが輸入されるようになり、阿波藍も含めて国産の藍が押され始める。1903年(明治36)に、徳島の阿波藍組合が、久留米絣、筑後製藍組合に国産藍保護を目的に連合会結成を持ち掛け、結成する。それにより久留米への阿波藍の移入は維持されたが、一方次第に地藍の利用は少なくなり、久留米の藍作りは衰退していった(同前)

そして、全国的な販路を誇っていた阿波藍も、人造藍・インジゴ・ピュアーの出現で、その需要が少なくなり、第二次大戦の食糧増産政策のなかで生産そのものが不可能になったのだという(前掲竹内『藍Ⅰ』、68頁)

結局、明治の中頃まで「繁昌を極めた」この「阿波藍」も、化学合成された人造藍が出現し安く売られはじめたことで、次第に衰退したのである(前掲柳、183~184頁)。柳は、これを「近世の日本染色界に起った一大悲劇」と呼び、私たちは化学では生み出せない「本藍」の美しさを失ったのだという。既に「本藍」「正藍」が、贅沢品になってしまったなかで、「嘘もののなかった時代や、本ものが安かった時代があったことは、我々に大きな問題を投げかけてきます」とうったえている(同前)

そして、いまだ「紺の香と木綿の肌ざわり」の記憶が生きており、「歴史は短かゝつたかも知れぬが、懐かしい印象を残して居る」という柳田は(352-8)、藍染の木綿の日常着を失ったという柳の喪失感を、共有しているといえるかもしれない。[重信]             

染物師綿年貢の算法これ以外にも鬱金とか桃色とか、木綿で無くては染められぬ新しい色が、やはり同じ頃から日本の大衆を悦ばせだした事全国の木綿反物を、工場生産たらしむる素地明治二十九年の綿花関税の全廃大正四年の染料医薬品製造奨励法

〔米穀屋〕大州屋(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)