人が足を沾らして平気で居てもよいか悪いか

1章8節361-11

柳田はここでなぜ「足を『濡』らして」ではなく、「足を『沾』らして」と書いているのだろうか。小川環樹ほか編『角川新字源』(改訂版、1994年)によると、沾は水と音符占→黏とから成り、水がつき、「うるおう」意で霑に同じ。濡は水と音符需から成り、もと川の名。ともにうるお−ふ(う)、うるお−す、ぬ−る(らす)などと訓む。字義において、沾(霑)は衣服・土地・山林の類がしっぽり全体にしめりうるおう意なのに対して、濡はびっしょり、しずくのたれるようにぬれる意(同上、1259頁の「同訓異義」参照)。柳田はここで「沾らして」と言っているのは、びっしょり「濡れる」のではなく「しめりうるおう」のであるから、沾の字を用いるのは用字として正確である。[白]

足を沾らす+足を汚す