牽牛花

1章4節350-9

節のタイトルで使った朝顔を、ここでは牽牛花と漢語由来の字で表記したのは、日本への渡来が薬用植物として持ち帰った遣唐使によることに、注意を向けさせるためかと思われる。世界的にみても、品種改良が最も発達した園芸植物で、観賞用に多種多様に変化した。変わり咲朝顔とも呼ばれる変化朝顔の主だった変異は、文化文政期の第一次ブームの際に起こり、嘉永安政期の再度のブームを経て、明治中期に再び流行した。7月七夕前後の3日間に入谷鬼子母神で催される朝顔市や、7月9日10日の両日に浅草寺で催されるほおずき市も、いずれも赤い花や実を賞することが、その基調となっている。鬼灯の実は、お盆に祖霊を導く提灯に見立て、枝葉付きで精霊棚に飾られる。なお、貞包英之は柳田の説とは逆に朝顔の色彩が衣服における変化をしばしば後追いしていたと論じ、両者には対象の色彩を微細に記述する本草学の展開が背景にあったとするほか、流行色の衣服を買えない人びとにも流行りの色彩を楽しむ機会を与えるものとして朝顔を捉えている(『消費は誘惑する 遊郭・白米・変化朝顔』青土社、2015年、249~250頁)[岩本]

赤い花